まくまく麻雀ノート
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桜井章一氏への質問をまとめた本です。 よい麻雀とは何なのか?強い麻雀と勝つ麻雀は何が違うのか? 世の中の麻雀と桜井氏の考える麻雀とはいったい何が違うのかに関していろいろと答えてくれています。

著者の南波氏は、もともと桜井氏のことを偽物、雀鬼会をカルトの教団のように考えていた人のようで、後半には「雀鬼は本物か?偽物か?」のような章があります。 このあたり、他の雀鬼本とは若干趣が違いますが、南波氏は今はバリバリの信者かと思いますw

結局、何を感じるか、何を汲みとるかっていうのは人によって違うので、そもそも本物・偽物議論ってあまり意味はないのですけどね。 マスコミもそうですけど、何でも白黒つけて批判しようって考え方は自分が苦しくなるだけ。 「信じるか信じないかはアナタ次第」って言葉は偉大です。

働くことは義務であり美徳でもあるとされているけど、オレなんて働くこと自体が実は悪いことなんじゃないかと思ってる。 こんな世の中だから働かざるを得ないんだけどね。

今の社会の中で「働く」ことって、人間が考え出したものでしかないんですよね。 自然の中で豊かに生きていくためには、それが本当に必要なものなのか。 モノが溢れている現在は、また考え直す時期に来ているのかもしれません。

ウチの若いのなんて貧乏人ばっかり。 でもそんな連中が集まって楽しければそれでいいじゃないか。 世の中ではでかい組織ほど本物だと思ってる。 そうじゃないよ。大きければ大きいほど偽物なんだ。

現代人には大きな会社、大きな組織イコールよいものだ、という固定観念がありますね。 人生100年時代と言われて少しずつ考え方が変わってきているようですが、個としての「強さ」を求める続けること、信念を持って生きることを忘れないようにしたい。

情報というのは小さくしなくてはダメなんだ。瞬間で分析してパッと大切なものをつかむ。

麻雀というゲームにおいて、状況や状態や対処の仕方、進む方向をきちんと理解していれば、「考える」時間は必要なくなるのです。

テレビに出ている麻雀プロで、毎度のように長考する人いますが、見ているこっちが恥ずかしくなってしまいます。 雀鬼流のように常に 1 秒で切れとは言わないまでも、プロと名乗るのであれば、いろいろな状況を想定して一定のリズムで気持ちよく打っていただきたいものです。 まぁ、時々長考する、というのが一種のエンターテインメントになっちゃってるのかもしれませんが。

座る位置だってずっと同じではいけないんだよ。手前の山から牌をツモるときには、気持ち椅子を引いているもんだ。ちょうど手を伸ばしたとき、そこに牌があるのがいい位置だから。てことは、対面の山からツモるときには、少し前に出るわけだよ。そうすればどこのツモにも対処できる。

力が入りすぎる人も多いね。それで頭が動いて、縦揺れになってる。そんなときオレは「縦揺れ!」と指摘し、修正してやる。

姿勢に関して述べている麻雀本ってあまりないのではないかと思います。 私も少なからず姿勢に気を付けて打っているのは、桜井氏の影響がありそうな気がします。

やる気のある人間のそばがいい。やる気のない人間のそばにいると、オレまでやる気がなくなるでしょう。やる気というのは、いつも持っていなきゃダメなものだよ。

元気があれば何でもできる!やる気があれば何でもできる!

ほんとそう思います。 やる気のある人のそばで過ごすべきだし、自分もやる気のある人であるべき。

麻雀は通常トップを決める勝負ですが、そのような考え方だと負けている人は「もうダメだ」となってどんどん差が開いていく。逆にラス決めの勝負だと皆「やる気」がなくならないので、最後までダンゴの状態が続きやすいらしいです。

負け気味のときも皆「やる気」をなくさないこと。 それがよい麻雀にする条件のひとつですね。

麻雀だけはよく気づくなんてありえない。普段からいろんなことに気づくようにしなさい。

気づく力、これは意識していないとできない。 ちゃんと気づいてくれるから信頼感も生まれる。 ボーッとしてちゃダメだ!

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