まくまく麻雀ノート

読書メモ『神頼みを捨てる思考力』桜井章一

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振れ幅を大きくしない

我々は誰もが必ず間違いを犯す。 だからこそ確かなものを求めれば苦しくなる。 半信半疑こそが、この社会にバランスをもたらす何よりの感覚なのである。

人間というのは善と悪の中で揺れ動く振り子のようなもの。 善のほうに振れれば振れるほど、悪の方の振り幅も大きくなってしまう。

世の中の人たちは安心と安定を求めようとしますが、桜井氏は常に半信半疑の気持ちで生きているといいます。 それが、何事にも臨機応変に対応する力につながっているんでしょうね。

場の捉え方

運やツキはこちらから掴み取りに行くようなものではない。 自分にペタッとくっついてきた運やツキをいかに感じとるかにかかっている。 ─ そのためには、常日頃から “あるがまま” の自分でいることが大切な要素となってくる。

麻雀ではほとんどの人が捨てられた牌にばかり目をやっている。 まわりの変化に気づくには、 もっとふわっとした感覚で場を捉える ことが肝心だ。 目の前にあるものを睨んだり、凝視したりするのではなく、ふわっとした感覚で全体を捉える。 そうすることで五感の働きも活かされてくるのである。

目の前で起きていることはすでに済んでしまったこと。 麻雀で他の人が捨てた牌を見ても、それはもう済んでしまったことを確認しているだけ。 そんなものを見る必要はない。 麻雀をしている時、私はどうしているのかというと、 すーっと水平線を見るような感覚 に自分を置いている。 そうするとまわりの流れが見えてくる。

全体をぼんやりと見るという感覚でしょうか。 確かに麻雀で感が冴えているときって、何かひとつのことを考えているのではなく、全員の動きや場がよく見えている気がします。 逆に一点に集中しているときは、ハッと気づくと周りが見えなくなっていることがよくあります。 「すーっと水平線を見るような感覚」、これは素敵な教えかもしれません。

結果論より経過

日々の生活の中でも 「経過を楽しむ」ことを大切に している。

経過は、ずるいことや卑怯なことをしていたら楽しめない。

いい経過とは、わかりやすく言えば、「美しいフォーム」で行うということ。

雀鬼会での試合では、最終的な結果よりも、その内容を重視するといいます。 様々なペナルティを設けて、審判まで付けているのも、よい内容を目指すための仕組みですね。 多くの企業が成果主義を導入し、結果重視の経営を行っているなかで、「経過」を大切にしようという考え方はどちらかというと珍しいのかもしれません。 そんな世の中であっても、何事も経過を大切にして行動しようと思わせてくれる教えです。

麻雀の面白さとは

「どの牌を切るか」という “見える範囲” の見極めは、正直私にとってどうでもいいことである。 肝心なのは見えない部分を感じて見極めること。 そうやって 見えないところを当てていくことに、麻雀の面白さがある のだ。

最近は確率を重視したデジタルという考え方が広まっていますが、桜井氏は、見えないものを見ることが麻雀の面白さだといいます。 麻雀の本質を追求するって、確率論ではなく、そういうことなのかなと思います。

コツとは

コツは自分で気付いたものしか身に付かない。 なぜ人から教わったコツは身に付かないのか? その理由はひとつ。コツは頭で理解して覚えるものではないからである。 コツというのは体で覚える ことで本当の動きができるようになる。

桜井氏の言葉の中で好きなものに、「苦労して身に付けたものの方が長く楽しめる」(みたいな感じだったかな)というのがあります。 本当に自分のためになっているものって、時間をかけて身につけてきたものだということをつくづくと感じます。 何事も答えだけをすぐに得ようとするのはダメですね。とことん考え抜いて、自分でやってみて、自分なりの考えを出す。成長ってその繰り返しでしかない。

変えられる運命

「運命」に似た言葉で「宿命」というものがあるが、私は「宿命」は定められているから変えられないもの、「運命」は変えられるものだと考えている。 「運命」反対側に、 変えられる「運命」というものの存在 も感じていれば、そこに囚われずに自分を解放してやることができるのである。

運命と宿命の定義なんてどうでもよいけれど、「どうせ運命なのだから…」という無駄な考えをなくすためには、「運命は変えられるもの」と定義してしまうのはよい考えですね。 強く生きられそうな気がする。

まずは自分でどうにかする

頼ることが普通になってしまった現代人 は、「人任せ」の世の中で生きている。 自分で何とかしようとせず、何でも人任せ。 ほとんどの人がそんな状態だから、世の中に不平や不満が増え続けている。

これはその通りかもしれません。 何でも人に頼ったり、頼もうとするから、「あれをやってくれなかった」とか、「期待外れだ」という不満が出てきます。 「まずは自分でどうにかしてやる」という感覚を持つことを忘れないようにしたいです。

苦を楽しむ

母親が「人生は苦しいのが当たり前」という話をしていた。 それだったら苦の中で遊んだりして楽しんじゃえばいい、と捉えるようになった。 堪えたり、我慢したりすることを繰り返していたらだんだんと辛くなってくるに違いない。 だったら苦を「苦しいもの」ではなく、「自分を成長させてくれる厳しいもの」と捉えるようにしたらいい。

これ所ジョージさんも同じようなことをいってますね。 「面倒くさいのが幸せなんだよ」って。 嫌なことや面倒なことに立ち向かって行かないといけないとき、それが成長に繋がるんだと考えれば前向きになれますね。

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